八咫烏と神武天皇

八咫烏と神武天皇 御坊市野島「秋葉山古墳発掘調査報告書」より
勿論神武天皇・八咫烏は、日本書紀の作者が付けた名前であるが、古代の歴史に重要な役目を果す部族が、先住若しくは漂着したのであろう。 色の黒い人々とは東南アジア系の先住民で、遭難者は大陸(朝鮮)系の人であろう。それを名田(野島)古墳群が裏付している。 名田(野島)の古墳群として、祓井戸古墳群  壁川崎遺跡  秋葉山古墳群等の存在が確認されているが、開墾・道路建設等により、殆ど痕跡を無くしている。特に注目すベき古墳といえば名田一号墳(秋葉山古墳)をあげることできる。
秋葉山古墳は報告によると、名田古墳群の中でも最大の円墳(径13m高さ3m)で、立地も古墳群においてきわめて優位な、古墳全体を見降す位置を占め、その周辺に小円墳をはベらせていた如き状態であったとされている。なお、単甕墓より先に出土した土師器甕には韓国で通常みられるタタキが施きれ、墓の内部主体が釜山槐亭洞甕棺墓と類似している点から、被葬者はこの地に朝鮮半島から渡来した人と考えられる。副葬品には製塩土器をはじめ、装飾品、鉄器などがあるが、この古墳の立地条件や規模を考えると秋葉山古墳は製塩・漁撈を生産手段とした当地方に居住する共同体の首長墓としての性格が強くあらわれている。また人面の彫刻をほどこした天井石の存在も報告されているが、こうした例は全国でもはじめてのものであり注目されている。
(「秋葉山古墳発掘調査報告書」御坊市教育委員会・1978年)当古墳は大正九年(1920)9月和歌山県史跡に、昭和48年6月御坊市文化財に指定
このことから日高の海岸線には造船・製塩・漁撈等の技術を持った朝鮮(出雲系)民族等が、住んでいたのは間違いない。