塩屋の塩

塩屋の塩  御坊市塩屋町
飛鳥時代から奈良時代、朝廷で使う塩屋の塩と決められていました。
飛鳥時代当時、製塩は塩の部族に限られていました。その権限を持っていたのが仁徳天皇のお后だった矢田部郎女[ヤタベノツラメ]の一族矢田部氏でした。矢田部氏は若狭の国、紀伊の国から播磨の国まで塩を統括していました。その矢田部氏が塩屋に移り住み、塩を焼くようになりました。それ以降、朝廷では塩屋の塩を使うようになりました。そのことが藤原京の木簡からも出ています。