水軍と紀氏

日本初の水軍と紀氏との関係 御坊市野島
『日本書紀』・『日本霊異記』等の古書並びに、伝説に紀氏登場してくる、(紀氏は現在、和歌山では「きいし」奈良等では「きし」『記紀』の時代は「きのうじ」と呼ばれている)又、野島は古代造船の発祥地、日高は水軍(紀伊水軍)の発祥地説もあり、熊野水軍・瀬戸内水軍も紀伊水軍の別れといわれている。平成18年4月29日全線開通した「しななみ海道」の通る愛媛県大島と伯方島の間にある小さい島を能島(のしま)といい、故里野島を想い名付けたと推測するのですが。
能島は愛媛県大島と伯方島の間にある小さい島でる。宮窪町の沖合約1kmの海上に浮かぶ周囲720mの能島に今なお残る能島城跡は、史上名高い能島水軍、村上氏の居城のあった所で、島全体が天然の要塞となったこの城跡は、国指定の史跡にもなっている、村上氏は代々勢力を強めるごとに増改築をしたと思われ、来島、甘崎城跡(大三島)など同系の城に比べて大規模な造りとなってる。干潮時には、すぐ隣の小島鯛崎島との間の岩礁の上に大がかりな桟端防材など設備の跡と見られる無数に残る、直径15~20センチの丸い柱杭の穴を見ることもできる。能島村上水軍の本拠地で昔から島の周りは潮の流れが激しく、熟練した者でなければ近づけない天然の要塞になっていた。複雑な海流の流れの為に海賊衆は操船技術に優れ、海の武士団、水軍として勢力をつけていたのであろう。 能島は桜の名所としても有名で、春には島全体がピンクに色づき見語だそうだ。