四神 毛槍 星座

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四 神  毛槍 (御神儀 塩屋王子神社)

四方の神と四季の神があり共に古代中国より伝わった、四方は東は青龍、西は白虎、南は朱雀北は玄武とされる、四方の天の中心は北極星(北斗七星)で北辰、又は天皇と呼ばれる。大地は黄龍麒麟とされる、もしキトラ古墳の調査で底面に、黄龍又は麒麟の絵画が発見されれば陰陽五行説がキトラ古墳築造時既に大陸より伝わっていた証である。 四季は春を句芒(こうぼう) 夏は祝融 秋を辱収(じょくしゅう)冬を玄冥(げんめい)という。 但し、陰陽五行説では四方神を四季神に配当している。 陰陽五行説とは、古代中国に起源を持つ哲理で、一切の万物は陰陽二気によって生じ、五行中、木・火は陽に属し、金・水は陰に属し土はその中間にあるとし、これらの消長によって天地の変異、災祥、人事の吉凶を説明するものである。(陰陽五行説配当表参照)
大和朝廷(持統天皇)は、中国の隋・唐の制度・組織の影響を受け、朝廷行事(即位礼・元日の朝賀・大嘗祭)に「日像幢」「月像幢」「四神旗」等を立て、唐の制度をそっくり真似、威儀を整えた。 天武天皇の発願で造営された奈良の薬師寺、天武持統年代の造立と云われる薬師如来像は、天皇の理想像であった。台座には南インドの十二神像やペルシャの香りを伝える武道唐草模様が刻まれさらにそこには見事な四神が浮き彫りされている。この台座は四神が揃って描かれた唯一の仏教美術、インドの仏教美術、西域の風俗、中国の四神、遙か 大陸文化が日本で一つになっている。 四神の祀られる方法として、四神旗・四神矛・四神像等があるが、四神旗を祀った神社は幾社か存在する、有名な神社として京都の平安神宮が在る、元旦とか時代祭の日に四神旗が竜尾壇に並ぶ、日高では美山村の上阿田木神社で祭礼に用いられている。 塩屋王子神社には御神儀として 四神の鉾、毛槍、星座、幣などが古来より伝わる。現在、秋祭りは10月第3日曜日で、御神儀を見ることが出来る。

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陰陽五行説

陰陽五行説が大陸より伝わっていた証として、奈良県で発見された高松塚古墳やキトラ古墳の壁画に四神図がありますが、朝廷が力を入れた主なものとして次の2点が在ります。
① 大和朝廷(持統天皇)は、中国の隋・唐の制度・組織の影響を受け、朝廷行事(即位礼・元日の朝賀・大嘗祭)に「日像幢」「月像幢」「四神旗」等を立て、唐の制度をそっくり真似威儀を整えた。
② 天武天皇の発願で造営された奈良の薬師寺、天武持統年代の造立と云われる薬師如来像は、天皇の理想像でした、台座には南インドの十二神像やペルシャの香りを伝える武道唐草模様が刻まれさらにそこには見事な四神が浮き彫りされています。この台座は四神がそろって描かれた唯一の仏教美術、インドの仏教美術、西域の風俗、中国の四神、遙かな大陸文化が日本で一つになっています。