美人王子

明日香と塩屋 (川端氏歴史を語るより)

天皇家・要するに蘇我氏が5世紀に出雲へ入って出雲を押さえました。
あそこに蘇我川という川があるくらいですからね。にもかかわらず六世紀になったら出雲全部を太氏「多氏(おおうじ)」が統括するんです。それから出雲の熊野神社を紀州の塩屋村に持ってきたんです。その後、新宮へ移したんやけどね。これは奈良時代の古文書、新宮の速玉神社の古文書にそれが出ています。塩屋村から速玉神社のご神体を持って出たいうて。出雲族の根拠地でしたんですけどね。日高郡で塩屋村ていうところは。

高松塚にある壁画と同じ祭りの四神の行列、星座まであります。祭りで、星座まで持って歩いてるんですよ。 この前、祭りに帰って今いう発見したんは、四神ね、これが矛(ほこ)の根っこにみな付いてました、それを皆こう、捧(ささ)げて持ってました、でその前には衣傘を持って歩いて行くんです。それから、四神の後ろに縄のすだれみたいのを星の形にして持って歩いて行ってました。高松塚古墳を暴いてこそ、初めてあのような四神があったてこと分ったんです。やっぱりこれは息永氏(オキナガシ)の系統で息永氏には立派な絵描きの集団がありまして。その集団が描いたんだと思いますね。 高松塚と黒塚とへ。それと同じ光景がうちの村にあるんやから、相当な天皇家に準ずる権力者やったんやね。四神を持って歩くいうことは、王家のシンボルやからね。特に、その今の祭りの行列の御神輿さんの後ろから付いて行く形がそれやないんかと。

◯ 塩屋王子神社 美人王子の謂われ (川端説)

6世紀中頃、日高に名代(なしろ)として、高貴の君・建皇子(たけるのみこ)着任し、住まいを北塩屋にする。別領(わけりょう)即ち皇族領として北塩屋、南塩屋、森、明神側、熊野(いや)岩内を言う。特に、北塩屋を別(わけ)の里と称する。
諸国の名代(なしろ)子代(こしろ)の長官として君臨し、7世紀の、時の藤原京宮城(きゅうじょう)十二門のうち、重要門である建部門(たけるべもん)を預かり、大伴氏と共に御所を預かる。天皇の即位にも大伴氏と共に立あいする 。
建部君は伴(とも)の造(みやっこ)として一大軍事力を有し、紀伊、河内、和泉、摂津、播磨、美作の重要地を有し、大和内智(うち)の郡(こおり)(五条)を預かる。
同族、堺部氏に管理を命じ、紀氏の陸軍として威力を発揮し諸国を転戦する。
時に、建部君、崩御せられ、人々大いに哀しむ。明日香の高松に四面壁画を配し、安置する。
二十世紀末高松塚に壁画を発見せられ、世人驚きを隠さず。
塩屋の人々は偉大なる建部君をお慕い申し、七世紀より先数百年に渡り皇子の御違徳を忍び祭りを営む。毎年、重陽の節句にご祭礼し、衣笠を貴人に差し掛け縦者の後よりみめ麗しき女官十数名従えて貴人の御成を四神が守り渡らせ給う。これが美人王子の謂われである。

◯ 他の神社の由緒の中の美人 

ホームページ『神奈備』を運営されている瀬藤禎祥様より戴いた資料です。

美人と名の付く神社や愛称の神社本庁加盟社では全国で塩屋王子神社のみです。

富士嶽神社 群馬県館林市小桑原富士原 木花佐久夜比賣命
御祭神は御名のとおり咲光映の意にて木の花のごとく美人にし坐して孝順推譲の美徳
を兼備して天孫瓊々尊が高千穂峯より海浜遊幸の際目にとまり妃となられた。

比比多神社 神奈川県伊勢原市上粕屋 神吾田鹿葦津姫命  又の御名  木花咲耶姫命
美人図がある。  歌川国経筆  享和二年十二月吉日  荻野住人神崎氏等三名納

野宮神社 岐阜県岐阜市近島 檀林皇后
野宮神社は檀林皇后(西暦七八六~八五〇)を主神とし、速開津比賣神、瀬織津比賣
神、気吹戸主神、速佐須良比賣神の四祭神を合祀し殖産興業の祖神として、また子弟
の勉学を司る神として古くから崇敬を集めているお社であります。主神の檀林皇后は
贈太政大臣正一位橘清友公の御息女で橘嘉智子姫と申し弘仁六年(西暦八一五)嵯峨
天皇の皇后になられたお方であります。皇后は人となり寛和絶世の美人で佛教への信
仰も篤く京都嵯峨に檀林寺を建立されたほか多くの宝幡や繍文の袈裟を作り、これを
僧慧萼に託し唐(現在の中国)の寺院にも多数寄贈されております。

和貴宮神社 京都府宮津市宮本 天照大神 (配祀)伊邪那美命 豐受毘賣神 伊邪那岐
命 天水分神 天御中主神 海津見命 猿田彦神 國常立尊 阿賀姫神
神代のその昔々、和貴宮神社は社の直ぐ右手に鎮座する波越岩あたりまでが海辺で
あった。この磐境は神の依代として崇められ、祭神は天照大神、猿田彦神、事代主神
(恵比須大神)、弁財天等その効あってか、特に美人の参拝が多かったとか、終日鈴
の音が鳴り止まなかった由。

玉津島神社 和歌山市和歌浦中 稚日女尊 息長足姫尊 衣通姫尊 (配祀)明光浦靈
衣通姫尊は第十九代允恭天皇の妃で第五八代光孝天皇の御代に合祀された。衣通姫尊
は絶世の美人であられ、其の麗しさはその名のとおり「衣を通して光り輝いた」と伝
たえられる。

古茂理神社 愛媛県西条市中野 木花之佐久夜毘賣命
祭神の木花之佐久夜毘賣は、大山津見神の娘で石長比賣の妹。美人の神様にて神武天
皇の御祖母にあたられ、後世安産育児の神として信仰あり。中野村(現在の中野)の
産土神。

若八幡神社  福岡県田川市夏吉 應神天皇 仁徳天皇 神功皇后 神夏磯姫命 小笠原
忠眞
神功皇后は第九代開化天皇の曾孫息長宿禰王の御娘で息長足姫と御名を申し上げます。
母は葛城高額姫です。第十四代仲哀天皇の二年に皇后に立たれました。御幼少の時より、
聡明で智慧にすぐれ而も、絶世の美人でした。