紀州近世史料拾遺

「紀州近世資料拾遺」塩屋王子神社石碑

仁井田好古総裁は部下の編纂人、勝本瀧右衛門に草稿を塩屋まで持たせ石面に写し取るよう命じました。この勝本という御仁は武士のようですが、絵が上手で紀伊風土紀の地図を担当していました、勿論書の方も達人で他人の文字を石面にそっくり写しだしました。勝本師が45日かけて写し取ったと言い伝えられています。その時の様子を勝本師は「紀州近世資料拾遺」という記録に残しています。

かけまくも かしこき神の 古しへを
幾万代に 残すいしふみ

勝本師はこの詩を添えて、仁井田好古師の撰文を神社に捧げ帰られました。

「滑稽秋の空」解題

故三尾功先生は生前、仁井田好古摸一の残した功績 塩屋王子神社の石碑について関心を持って戴き、この貴重な資料を三尾先生から直接お預かりした貴重な資料です。文化文政の時代 紀州藩はこの塩屋王子神社を重要な神社として位置づけていたかが忍ばれます。心より三尾先生に感謝申し上げたいと思います。郷土の歴史と文化を学ぶ会 溝口善久
本書は和歌山市岩佐氏 湯橋寿夫氏所蔵の一本で、「和歌山市史」編纂の折、調査した史料である。
楽しい絵が描かれた紀行文で、室院研修のため輪読会のテキストにした。
当時、筆者も分らず、」文字の読解に苦労した思い出がある。
その酒脱な文章は面自く、室員が地図を前にして楽しい研修となった。その時、「本府なる仁井田好古先生に其よしを願われけるよしにで 先生則確銘を換給ふて 草稿して これを予に石面に写しこよとのおふセあれハ‥」という部分に疑問を持ち、現地調査もして、ようやく各地に残る仁井国好古の撰文碑に眼を向けるようになった。碑面に「撰並書」とありながら、機文を代筆した人物がある。地元の研究者のご協力もあっで、仁井田好古自筆の草積も発見され、『紀伊続風土記』編纂に関わった勝本瀧右門(地図担当))が仁井田の革稿を石碑に臨書したことが明らかになった。草稿は五番目を入れ、実物大、石面にそのまま臨書されたが、字体に少し異なる所がある。
この史料によって、こうした史跡顕彰の先駆的事業の背景が明らかになり、「塩屋王子前碑」が注目され、今は地元の方々のご尽力で、傷んだ石碑の保存整備事業が完成し、永く人々に歴史を語り蹴ることでろう。この碑文は、「紀伊続風土記」など多くの編纂物に掲載されているが、自筆草稿を見れば、いかに史料引用かと脅かされた。史料は原史料に当たることが肝要だと痛感する。
二〇一一年四月一五日      三尾八朔
和歌山研究の第一人者、三尾功さんを偲ぶ

三尾先生は一昨年、塩屋文化祭で講師として「塩屋王子前碑」について、講演して頂きました。
今回出展の『「滑稽秋の空」解題 』は生前、昨年の5月、三尾先生よりお預かりした資料からです。
今は三尾先生から勉強する機会が持てたことに感謝しています。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

「紀州均整史料拾遺」二    まえがきより
ここに集めた史料は「和歌山市史」編纂に関わった頃を含めて、六十年余の間に眼にし、活字にならなかった少し変わった史料である。それぞれに思い出深い史料で、その折々であった方々との縁は、記憶に新しい。今、残された少ない時間に、こうした史料を翻刻しておくことで、今後の和歌山地方史研究に少しでも役に立てばと思う。題して「紀州均整史料拾遺」。いつまでこうした道楽が許されるか分からないが、続編を刊行したいと願う。             2011年4月15日        三尾八朔

【三尾八朔 本名:功】昭和6年(1931) 大阪市生まれ。2012年1月17日 死去
城下町和歌山研究の第一人者で、 元・和歌山市立博物館館長。 学術研究書の他、「内容は豊かに、 言葉はやさしく」 と一般向けの本も出版。 和歌山城の保存整備など文化財保護にも尽力した。 平成19年に県文化功労賞、 21年に市文化賞、 23年文部科学省地域文化功労者表彰を受賞。 傘寿記念として昨年11月に出版した 『城下町和歌山夜ばなし』 が最後の著作となった。
その他、著書に『城下町和歌山百話』(和歌山市、 昭和60年) ▽ 『近世都市和歌山の研究』(思文閣出版、 平成6年) ▽『城下町の片隅で』 (自刊、 平成13年) など。共著に 『和歌山市史』全10巻(和歌山市、昭和50年~平成4年) ▽『粉河町史』全5巻(粉河町、昭和63年~平成13年)など。

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